【1】極貧生活の幕開け。母子家庭で偏見を浴びながら駆け抜ける日々

【肚真利】経歴ストーリーの第1章です。

 

まれ持った「濃い顔」と、珍しい名前だったこともあって、からかわれることは多々ありましたが、それよりなにより、家庭環境が原因で、世間から「偏見の目」を浴びていました。

 

少しでも世間のレールから外れると、変な目で見られ、
「お前は、こうに違いない。そうだろッ!」
的な、決め付けをされてしまうわけです。

 

そんな子供時代にさかのぼって、話をしていくことにします。

 

●母は強し。燃え盛る業火の中に
飛び込むが如く

る日突然、父親が家を出て行って母子家庭になり、極貧生活がスタートしました。
母親(41歳)と、僕(11歳)、妹(9歳)、弟(5歳)の4人。
最初はマンションに住んでいましたが、家賃が払えず、「文化住宅」と呼ばれる家に移りました。

 

「文化住宅」と聞くと、
「文化のある住宅?!カッチョイイ~!素敵」
とイメージするかもしれませんが、単純にクソせまいボロアパート的な家を指します。正直、友達を家に呼ぶのが恥ずかしかったほどです。

 

4畳半が2部屋で、お風呂は無し。
トイレが部屋の中に組み込まれているので、ウ○チをすると、その臭いが部屋中に充満する仕組み。
壁は、iPad並みの超薄型。隣人の声が高音質で流れてきます。

 

母親は、それまで専業主婦をしていましたが、母子家庭になった途端、腹をくくったのか、
戦闘力が格段に上がり、燃え盛る業火の中に飛び込むが如く、
朝から晩まで、色んな仕事を掛け持ちして、エネルギッシュに働き始めました。

 

今でこそ、「シングルマザー」という言葉がありますが、当時は、母子家庭(父子家庭)が珍しく、最先端の形態でしたので、
「片親(かたおや)だ。可哀想…」
「経済面も厳しいし、寂しいだろう」
「愛情不足で育つに違いない…」
といった、バチクソ偏見の目で見られていました。

 

時々声をかけてくる大人たちは、言葉こそ優しいものの、同情というか、憐れみというか、そういう目をしているな…と、子供ながらにヒシヒシと感じていました。

 

でも、実際の生活はどんな感じだったのか。
詳しく説明していきましょう↓

 

●貧民が生き抜く戦術。
大軍勢のゴキブリ達を率いて

あ、経済面で厳しかったのは事実です。
とにかく「お金」がありませんでしたので、集めたガラクタで自分のオモチャを作っていました。
「粗大ゴミ置き場」のことを、我々一族は「リサイクル広場」と呼び、
日々新しいオモチャの発掘&製作をしていたのを、今でも鮮明に覚えています。

 

「なにも無ければ、なにかを作ればいいじゃない」

…というマリー・アントワネット的な発想こそが、貧民の生き延びる知恵であり術(すべ)でした。

 

「寂しさ」を感じていたかと言うと、そんなことは全くありませんでした。
「文化住宅」には、母親と僕、妹、弟の4人以外にも、人類よりも先に地球上に誕生した大先輩「ゴキブリ」さん達が、大軍勢で押し寄せてきてくれたので、だいぶ賑やかでしたし。

 

ディズニーランドには行けなくても、
リアルな「ドブネズミ」さんが時々訪問してくれていたので、色んな意味でエキサイティング&スリリングな時間を満喫していました。

 

「ピンチ」の時は、家族一致団結。

 

ちょうど僕が高校に入る頃に、アパートの大家さんが、
「この家つぶして駐車場にするわ!出てってね」
と急な無茶ぶりをしてきて、住む家を失うという大ピンチに見舞われましたが、
どうにかこうにか家を見つけることもできました。

 

そんなこんなで、その後もたびたび来る様々な「ピンチ」と向きあいつつ、子供時代を駆け抜けていきました。

 

●次回予告。
成長し、大人になるに連れて…

供時代は、偏見の目を浴びつつも、自由に生きておりましたが、こんな僕も、徐々に大人になるにつれて、
「常識」「世間体」という名のレッテルをベタベタと貼り付けられ、徐々に自分を見失い、
自分を殺し、やがて漆黒の時代へと突入していくのです…

 

続きは次回、第2章へ。

 

●おまけ。
ひと休みのエンディング音楽♪

最後までご購読いただきまして有難うございます。
次の話に行く前の、ひと休みということで、音楽をシェアしておきます。
のんびり聴きながら、くつろいでいただければ幸いです♪

 

 

宇多田ヒカル 『あなた』

 

「シングルマザー」として子育てに奮闘しているという、宇多田ヒカルさん。2018年に発表された楽曲です。歌詞の解釈や受け取り方は、人によって様々だと思いますが、一説には、親が子を思う「愛」が見事に表現されていると言われています。日本語の美しさも堪能できる名曲です。