【肚真利】経歴ストーリーの第1章です。
ある日突然、父親が姿を消して母子家庭になりました。
母親(41歳)と、僕(11歳)、妹(9歳)、弟(5歳)の4人。
「一家で夜逃げ」は聞いたことがありますが、
父親が「単独ソロで夜逃げ」という、世にも珍しいパターン。
「夜逃げ」されて連絡が取れないので、養育費等は受け取れませんでした。
ここから、僕たちの極貧生活の幕開けです。
僕が11歳の頃=1996年。舞台は大阪。
今でこそ多様性の時代になってきていますが、
その当時は、「ひとり親」の家庭に対する世間の差別/偏見も色濃かった時代です。
そんな「子供時代」にさかのぼって、話をしていくことにします。
*母は強し。燃え盛る業火の中に
飛び込むが如く
母親は、僕たちを養うために、エネルギッシュに働き始めました。
燃え盛る業火の中に飛び込むが如く、朝から晩まで、色んな仕事を掛け持ちしていました。
ちなみにこの記事のタイトルにある「必死のパッチ」とは、主に関西で使用される言葉。
「パッチ」とは、主におじさんがズボンの下に履く「ももひき」のこと。
まぁ言葉を選ばずに言うと、「レギンス」のめちゃくちゃダサい版です。
すなわち、「必死のパッチ」の意味は、
「パッチ姿であることを忘れるくらいに必死である」という説があります。
実際、母親は働きまくることでオッサン化し、家では「パッチ姿」でした。
そんなこんなで、必死にお金を稼いでいましたが、全ては生活費に消えていきます。
「マンション」の家賃は払えなくなり、
「文化住宅」と呼ばれる家に、引っ越すことになりました。
「文化住宅」と聞くと、
「文化のある住宅?!カッチョイイ~!素敵」
とイメージするかもしれませんが、単純にクソせまいボロアパート的な家を指します。
正直、友達を家に呼ぶのが恥ずかしい程でした。
間取りは、4畳半くらいが2部屋。
トイレが部屋の中に組み込まれているので、
ウ○チをするとニオイが部屋に充満する仕組み。
壁は、ザラッとした「砂壁」で、
最新のiPadにも引けを取らない超薄型。
「隣人の声」が高音質で流れてきます。
お風呂は無いので、近所の「銭湯」に通います。
「銭湯」に行くのが面倒な時は、台所の水で頭を洗い、濡れタオルで身体を拭いていました。
↑生活環境は、ザッとこんな感じでした。
*クヨクヨ落ち込む暇は無ぇ!
発想の転換で、全てを乗り切る
当時の母親が口癖のように言っていた言葉が、
…でした。
ちなみに、母親は、一般的なギャンブルに関しては嫌っていて、こうも言っていました↓
格好つけて言っているというより、
こう言いわざるを得ない状況だったのです。
必死で奮い立たせていた感じだったと思います。なぜなら、現状として、お金が無いからです。
というわけで、貧乏人ならではの
「生き延びる術」をいくつかご紹介します↓
①大軍勢で押し寄せる「G」の対策
「G」というのは、ゴキブリさん達のこと。
どれだけ駆逐してもキリが無いので、発想を転換。
彼らは決して「敵」ではなく、恐竜の時代から生きている、人類の「大先輩」。
その粘り強さたるや、尊敬に値する存在である。
もちろん、部屋は掃除して綺麗にしますが、それでも彼らが訪問してくれる時は、
「大先輩が見守ってくれている」と捉える。
こうすることで、「G」に対する嫌悪感や恐怖は無くなりました。
②遊ぶオモチャが無い時の対策
とにかく「お金」が無かったので、
集めたガラクタで遊ぶオモチャを作っていました。
「粗大ゴミ置き場」のことを、「リサイクル広場」と呼び、
日々新しいオモチャの発掘&開発をしていました。
石鹸の小さな箱や、ペットボトルの蓋等、様々なガラクタを組み合わせて、
当時流行っていた「タートルズ」の人形や、「ロックマン」に出てくるボスキャラの武器を作る等。
最初は、オモチャをたくさん持っている友達が羨ましくて始めたのですが…
徐々に、周りの友達も巻き込んでいって、
「ガラクタで、どう作るか合戦」
をして遊ぶようにになりました。
既存のオモチャやゲームで遊ぶよりも楽しいので、友達と一緒にハマっていたのを覚えています。
③おやつを買えない時の対策
とにかく「お金」が無かったので、
野生の「実」や、花の「密」を採取して、おやつにしていました。
・「びわ」
・「グミの実」
・「木苺(キイチゴ)」
・「つつじの花」(中に密がある)
等がある場所を覚えておいて、良いタイミングで取りに行くのです。
たまに妹が作る「どんぐりクッキー」は格別でした。
「どんぐりの実」をザクザクに砕いて作る、ヘルシーなお菓子です。
最近知ったのですが、古代の縄文人が同じようなクッキーを作っていたそうです。
④「家」が狭苦しいことへの対策
「家」の大きさや、部屋の広さを変えることはできないので、
発想の視野を大きく拡げて、視点を変えるしかありません。
住んでいる地域全体(はたまた地球)が、自分達の「家」と捉えるのです。
今で言う「シェアリング・エコノミー」に近い発想です。
・公 園→「庭園/別荘」
・図書館→「書斎」
・森 林→「瞑想ルーム」
といった感じです。維持費が掛からないので、メチャクチャお得です。
もし、これらを「所有」すると、莫大な維持費がかかりますが、
「シェア」しているので、維持費は必要ありません。最高ですね!
…といった感じで、楽しみながら、
なんとか極貧生活を乗り越えていきました。
次回予告。大人になり、
*次回予告。大人になり、
働くことの大変さを知る
ちょうど僕が大学に入る頃に、アパートの大家さんが、
「この家つぶして駐車場にするから出ていってね。立ち退きってことで(テヘペロ)」
と急な無茶ぶりをしてきて、住む家を失うという大ピンチに見舞われましたが、
どうにか家を見つけることもできました。
その頃には、僕と妹がアルバイト等で働けるようになっていたので、
皆で力を合わせて家賃を払い、「少し広い家」に移り住むことができました。
やがて大人になって就職し、独り立ちします。
実際に、自分で生活費を稼ぐというのは大変で、
母親の有難みを、身に染みて痛感することになります。